2023.07.31
お知らせ
※本セッションは、2023年5月9日(火)Zoomウェビナー形式で、事前参加登録をしたリモート参加者約90名にライブ配信されました。
新学習指導要領により、2022年度から高校で「情報Ⅰ」が必履修科目になった。「情報Ⅰ」の、具体的な学習内容としては、プログラミングの基礎だけでなく、データを統計的に分析する手法や情報を効果的にデザインする方法、そして問題発見・解決のスキルなどが含まれる。時代が求める情報のスキルを身につけた生徒たちと、従来の教育を受けた世代とでは、知識や仕事の仕方にギャップが生じることが想定される。情報の素養を身に付けた学生を受け入れる大学・企業は今後どのように整備し、変化していく必要があるだろうか。
◇「情報Ⅰ」と世代間ギャップ
日本のIT人材不足や国際デジタル競争力の低迷が危惧される中、文科省が2022年より高等学校で情報科の科目「情報I」を必履修化した。デジタル人材不足解消の一手となることが期待される一方で、大学や企業は受け入れ体制を整備できていない。「情報I」の教育を受けていない旧世代が働く企業の多くは、データ活用やAIの導入に踏み込めていないのが現状だ。これまで勘、経験、度胸(頭文字をとってKKD)に頼ってきた情報科教育を受けていない旧世代と、情報Ⅰを学び、エビデンスベースで意思決定(EBDM)を行う新世代とでは仕事の仕方にギャップが生じるのではないか。実際、データ活用の現状を調べたAIネットワーク社会推進会議(2022年)の資料によると、約半数の企業がデータ分析を行っていない。さらにAIを活用している企業はたった10パーセントにとどまっており、多くの企業はビジネスの意思決定にデータを活かしていないようである。2025年以後は、高校で情報を学び、データ活用ができる学生達が大学に入学した際、情報学部の大学教員はもちろん、経済、法学部といった文系の大学教員はどのように新しい知識を取り込み、キャッチアップしていくべきだろうか。それ以前に入学し「情報I」を受けてこなかった学生が大学内に混在する場合、大学の学習内容は就職活動に向けてどう対応すべきか。さらに、2028年以降、企業が「情報I」既修者を受け入れる場合、大卒新入社員をどう指導し、これまでの社内のタスクを整理し、ポテンシャルが発揮されるよう導くべきか。情報科の教育がアップグレードされたことにどのような波及効果があるか、みなさんと一緒に考えたい。
学習指導要領は教科書の基本になるもので約10年に一度改訂される。改訂の背景には、新しい社会への対応がある。これまで、人間社会は産業革命を経て工業社会、情報社会へと発展してきた。これからはAIやIoTがもたらす第四次産業革命によりSociety5.0へ向かい、想像力や創造力を生かし課題の発見・解決、価値創造をしていくことが求められる。文科省の中教審答申においても、予測できない変化を前向きに受け止め、主体的に向き合う、ということが議論された。こうした議論をもとに、新学習指導要領では①「知識・技能」だけでなく、②「思考力・判断力・表現力」、そして態度や自己調整力など③「学びに向かう力・人間性」の三つの柱を育成することを示した。これに対応する形で、情報科も更新された。
もともと情報科は2003年に情報A,B,C の3科目で始まり、その十年後、「社会と情報」「情報の科学」の2科目、そして現在は共通必履修科目「情報Ⅰ」に統一され、発展的な内容の選択科目である「情報Ⅱ」がある構成になった。新学習指導要領の「情報I」は、(1)情報社会の問題解決、(2)コミュニケーションと情報デザイン、(3)コンピュータとプログラミング、(4)情報通信ネットワークとデータの活用の4領域から構成される。「情報Ⅰ」の大まかな内容は、問題の発見・解決を目標に据えて、情報デザイン、プログラミング、データの活用を手段としたものである。高校「情報Ⅰ」に向かう学びを初等中等教育では綿密に系統立て発展するように作られており、情報デザイン、プログラミング、データ活用のいずれもが小学校、中学校の学習でも扱われている。
「情報Ⅰ」は、これからの国民的素養にあたる。よって、旧課程を受けた方ははまず「情報Ⅰ」がどんなものか概要を知り、理解し、職場において既修者の素養を活用してもらうよう努めてもらいながら、何年かかけて段々と学んでもらうのがよいだろう。また、大学の学習のスタートラインをどこにするかという課題が今後の大学を左右するだろう。さらに、「情報I」未修の社会人とのギャップを埋めるため、動画やテキストなど何らかの形で教材を提供するなどして、このギャップに社会全体で対応していかなければならない。その一助となるべく、一般社団法人デジタル人材共創連盟では、初等中等教育からの発展的な学びの道筋、さらに課外活動での学びを総合的に捉え、全国的な運動として各種コンテストを展開し、コエテコと協力して高校生向けにITパスポートの解説付き過去問の提供を無料で行っている。
◇プログラミング入門で扱う内容は小学校でも
静岡大学情報学部には3学科がありそれぞれ目指す人材像もアドミッションにおける試験科目も異なる。このうち入学時にプログラミングの素養をもった学生は一部である。旧課程で学んだ本学在学生へのアンケートでは、アルゴリズム・プログラミングの学習経験があるものは14%にとどまった。そこで、入学後に3学科ともJavaをつかったプログラミング、Rとエクセルを使ったデータサイエンスを共通して学ぶ。例えば情報社会学科1年「プログラミング入門」では、MITのシーモア・パパート教授が開発したプログラミング教育用ロボット「マインドストーム」にちなんで、亀の軌跡が正五角形を描くようなプログラムをScratchで作る課題に取り組む。この課題のねらいは、図形の知識習得やプログラミング能力醸成ではなく、仮説を立て、何度も試す体験を通じて、未知の図形へも見通しを立ててもらうことである。小学校でも同様の課題でプログラミング学習支援を行ってきた。これは新学習指導要領をベースに学んできた新しい学生には不要になるだろう。
「情報Ⅰ」の教科書を分析したところ、内容の難易度や重みづけに差はあり、採用しているプログラミング言語は異なるものの、どれも学習指導要領に示された4領域を実践的に学習できるよう工夫されており、プログラミングではコードを書く活動を前提とし、問題解決の流れと情報技術の基礎を学習できるようになっている。これを踏まえ、情報科学科のカリキュラム全体を通してみると、1年次の履修科目である「プログラミング」、「コンピュータ入門」、「情報学総論」の内容の多くは高校「情報Ⅰ」で学習される。同様に、知識や技術を生かし、プロジェクトを通して問題解決の手法を身に付ける「PBL演習」についてもプログラミングや統計、問題解決の手法を高校で学習してくるようになれば、不要になるかもしれない。そうした場合に、どんなことが起こるのか。飛び級のようなことを可能にさせる、ダブルメジャー制度にしてより幅を広げてもらう、卒業せず企業に就職する、海外に出るなどの選択肢も浮かび上がってくる。情報の能力をもって海外で活躍する道も開かれる。昨今、特に、アジアの諸外国でも初等教育からICT分野の教育にかなり力をいれるようになってきており、危機感を覚える。諸外国の情報教育の類型や、情報Ⅰ必修化による変化をとらえ、大学での情報系の教育を検討すべきところ、現状では、担当教員間で未だ十分討議はできていない。
Q:「情報Ⅰ」にはどのような内容が含まれるのか?
遠山:(1)情報社会の問題解決、(2)コミュニケーションと情報デザイン、(3)コンピュータとプログラミング、(4)情報通信ネットワークとデータの活用の4領域があり、計算機科学に限らず情報社会も学ぶ。
鹿野:本質は問題の発見・解決であり、情報デザイン、プログラミングやコンピュータの知識、データ活用をツールとして使いこなす総合的な学習である。その中で、ロジカルシンキング(論理的思考能力)、フェイクニュースなど誤情報の問題、情報モラル、情報処理の素養も磨かれる。
Q:企業はどのような人材を期待するか、また受け入れ側となる組織の仕事の仕方にどのような変化が生まれると予想されるか?
水越:データをみて、仕事ができる人材が増えるのは喜ばしい。「情報Ⅰ」は、これからの情報社会を生き抜く力を培ってくれる科目だと認識できた。旧課程で学んだ世代は、リスキリングの一貫として、「情報Ⅰ」の内容を自分事として捉え、学んでいくと同時に、若者たちの芽を潰さないようにしなければならない。また、現行の採用選考プロセスで企業がよく導入しているSPIのような適性検査に、情報活用能力が加わっていくということも考えられるかもしれない。勘や経験、前例踏襲といったこれまでの仕事の仕方は衰退せざるをえないだろう。
鹿野:大企業と中小零細企業とでは対応も異なるだろう。新しく入ってきた社員をどう活用するか、ということも併せて考えなければならない。受け入れる側は、「情報Ⅰ」を学んだ世代と同等の能力を競って目指すのではなく、彼ら・彼女らが何を学んできたか理解でき、どのような力が身についたか理解することをまずは目指し、段階的に学習内容を深めていくのがよいだろう。
遠山:データを分析し活用する能力を卒業研究などを通して大学でも強化している。あまり自己主張が強くない今の若者だが、内に秘めた能力が社会で発揮できるよう認めていく環境があるとよい。
Q:問題解決の手法を学ぶにあたり、実際に地域の問題を発見しようとした場合、問題に対して自分事として意識し意欲を持つ必要がある。問題解決を身近にする、と言う点を教科でどう扱うのか。
遠山:学校では時間の制約から、問題解決プロセスのうちの問題発見のところをスキップし、問題を提示するところから始めることが多い。また、問題を解いた後に子供たちが問題意識を持てるようなサポートまで時間や労力をかけられない。これから問題発見のスキルはさらに育成が求められるだろう。学校の外の場で問題解決能力を発揮する場として、情報処理学会らが主催する中高生情報学研究コンテストも良い事例であり参考にされたい。
Q:データを適切に解釈するための指導はどうあるべきか。また、データ活用のできる新世代へ指導する側はどう立ち回ればいいか
遠山:データ収集プロセスや、統計的な妥当性の検証など、統計的な観点から注意して指導をする。同時に、学生が自ら知識をつくっていくプロセスを教員が後押しすることも大事だ。高等教育はオープンエンドである姿勢も大事で、答えが一つではないということへの理解も含める。
鹿野:進歩し続ける技術を前にすれば、教員や上司、権威がすべての解を持っているわけではないのだから、時には学生から習い、ディスカッションするなど、お互いに一緒に学んでいく姿勢が重要である。学び続ける文化がなければ進化していけない。
水越:これは企業で指導する側の上司も同様である。
Q:大人のデジタル・シティズンシップについてはどうケアするのか
豊福:デジタルシティズン・シップという概念は、市民の社会参画にはデジタルな素養が必要であり、その素養を育成すべきという考え方だ。日本はかねてから海外に比べ、包括的なデジタル・シティズンシップ教育が実現できていないが、デジタル・シティズンシップ教育は、英国、フィンランド、シンガポール、タイ、マレーシアなどで導入されている。
GIGAスクール構想で児童・生徒に一人一台の情報端末とネットワークが整備されているが、情報モラル教育※を受けていない保護者世代は、子どもが端末で何をしているかわからず不安を覚えることもある。子ども達のデジタル・シティズンシップ教育を推進していくのはもちろんのこと、大人も同様にデジタルの素養を高めていくべきでそれは大きな課題となっている。「情報Ⅰ」は現実の社会課題との関連性を入念に考えて作られており、学習の基盤となる資質能力を養うメタ教科として捉えることができる。一方で、初等中等教育における新学習指導要領の情報活用能力、ならびに高校「情報Ⅰ」で見立てられた能力の体系は、社会人に求められる情報活用能力とつながっておらず、断絶している。背景には、初等中等教育、高等教育は文科省、社会人のリスキリングは経産省、高齢者や就労していない幅広い層には総務省といった具合に、それぞれの能力を体系化する行政機関や担当が異なっていることに由来する。世界的にみれば、学校教育の中で定められたことを生涯に渡って、同じスキームで継承できているかは、デジタル・シティズンシップ教育を考えるうえで重要な論点になっている。
◇まとめ~学び続ける文化へ~
実積:かつて米国で生産性パラドックス(70年代~80年代、米国で職場にコンピュータを導入したものの統計には生産性の向上が表れなかったこと)が起こったように、「情報Ⅰ」を学び、データ活用の素養をもった学生が入社してきても、彼らのポテンシャルを活かせず、生産性が向上しない可能性がある。これを回避するためには、大学教育はもちろん、OJTのやり方など社会を変えていかなければならない。そのためには、新しいカリキュラムに対し、互いに歩み寄って学び続ける文化を持つことがデジタルトランスフォーメーションを実現する鍵となるように感じた。
鹿野:止まっているものと動いているものとの間にはギャップが必然的に生じるが、双方が動いていてそのスピードを調整できるのであれば、ギャップは徐々に埋まっていく。ギャップに気づいたのなら、学習のスピードを向上する、教材や機会をあちこちで提供するといった策が考えられる。
遠山:学び続ける文化を推進するためには、既存の学び方や評価の仕方を根本的に変えていく必要がある。現行の大学では基礎を習得してからでないと活用に進めない形でカリキュラムが組まれることが多いが、先に活用から入って足りない部分を習得し、さらにその後の学習に生かす、というような小さなサイクルを繰り返すことで学びはもっと面白くなる。面白さは、大学を出てからも学び続けようという動機にもつながるだろう。
豊福:メタ教科としての「情報Ⅰ」は、学習内容だけではなく、学び方、評価の変容へとつながっている。テストで知識を問うような受験技術を要する評価ではなく、プロジェクトベース学習など現実世界と連動した学びを推進し、ゆくゆくは他教科にも普及するきっかけになると嬉しい。
◇鹿野 利春(京都精華大学 メディア表現学部 教授)
石川県の公立学校教諭、教育委員会指導主事を経て、文部科学省で高校の情報科担当教科調査官を勤める。文部科学省では情報科の学習指導要領改訂、情報活用能力、情報モラル、GIGAスクール構想などに携わる。
現在は、京都精華大学メディア表現学部教授、(一社)デジタル人材共創連盟代表理事。
◇遠山紗矢香(静岡大学情報学部 講師)
認知科学と情報学を基盤としたICT活用教育や協調学習の実践研究に携わってきた経験を活かし、小学校から大学まで幅広く対象とした情報教育のデザイン研究を行っている。文部科学省ほかの委員を務めている。
◇実積 寿也(中央大学総合政策学部教授/国際大学GLOCOM上席客員研究員)
中央大学総合政策学部教授。東京大学法学部卒業、ニューヨーク大学経営大学院修了、早稲田大学大学院国際情報通信研究科博士課程修了。MBA(finance)、博士(国際情報通信学)。郵政省(現・総務省)、コロンビア大学客員研究員、九州大学大学院経済学研究院教授などを経て、2017年より現職。専門は通信政策、通信経済。総務省情報通信政策研究所特別研究員、Global Partnership on Artificial Intelligence専門委員、情報通信行政・郵政行政審議会委員などを務める。令和2年度情報通信月間推進協議会会長表彰「情報通信功績賞」受賞。
◇水越 一郎(NTT東日本 特殊局・JPCERT/CC外部理事・情報セキュリティ大学院大学客員研究員)
早稲田大学理工学部数学科卒業、筑波大学大学院修士課程経営・政策科学研究科経営システム科学専攻修了。学部生時代に出会ったパソコン通信(アスキーネット)業界を経て、ISP(Internet Service Provider)業界に転職、1997年からNTTに在籍。高校の「情報」に関するパネルセッションをJanog27(2011年1月)、Janog51(2023年1月)で企画・登壇。
◇豊福 晋平(国際大学GLOCOM 主幹研究員/准教授)
横浜国立大学大学院教育学研究科修了、東京工業大学大学院総合理工学研究科博士課程中退。専門は学校教育心理学・教育工学・学校経営。総務省「青少年のインターネット・リテラシー指標改善に関する調査研究及び実態調査検討委員会」委員、「ICT 活用のためのリテラシー向上に関する検討会」委員。日本デジタル・シティズンシップ教育研究会(JDiCE) 共同代表理事。
進行:小林奈穂(GLOCOM六本木会議 事務局/国際大学GLOCOM 主幹研究員・研究プロデューサー)